『Spazio Edra Tokyo Aoyama by LIVING HOUSE.』──2025年7月3日、世界が愛するEdraの美と快適性を、日本で“体感”する特別な空間が誕生世界の一流ホテルや美術館が認めるイタリアのハイエンド家具「Edra(エドラ)」が、2025年7月3日(木)、東京・南青山で、日本初の路面旗艦店『Spazio Edra Tokyo Aoyama by LIVING HOUSE.(スパチオ エドラ トウキョウ アオヤマ バイ リビングハウス)』をオープンしました。
国内総代理店を務める株式会社リビングハウス(本社:東京都港区、代表取締役:北村甲介、以下「当社」)は、コロナ禍以降の国内富裕層の拡大傾向を踏まえ、これまでLIVING HOUSE.店舗内で展開してきたEdraの世界観を、より本格的に体感できる路面店として提供し、国内展開を一層強化していきます。
なお、本店舗では2025年10月に「グランドオープン」を予定しており、日本未発売の新商品や、Edra本社のボードメンバー来日によるレセプションパーティなど、特別な企画を準備しております。詳細は追って発表いたしますので、どうぞご期待ください。
世界の一流ホテルや美術館が認めるEdraの“哲学”を体感できる、日本唯一の路面店Edraが日本で初めてオープンする路面店は、これまでEdraが追求してきた“哲学”と“美”を五感で体験できる、没入型の空間となっています。
内装には大型ミラーが随所に配置され、静謐なノワールトーンに包まれた空間が、訪れる人の姿や家具の造形を映し出します。そこには多様な文化的要素が織り込まれ、時代や様式を超えた連続性を感じさせます。また、壁面に設置されたグラフィックパネルには、自然、建築、美術など、人類の文化的記憶を想起させるビジュアルがあしらわれ、空間に奥行きと象徴性をもたらしています。
これらは、Edraが大切にする「空間と感性の対話」を促す静かな装置として機能し、ミラーとグラフィックが織りなす重層的な視覚体験の中で、家具はまるで空間に浮かぶアートピースのように際立ちます。それはまさに、“生きるための芸術=The Art of Living”というEdraの哲学を具現化した光景です。
今回のオープンでは、Edraを代表する4名のデザイナーによる商品をメインに構成しました。世界の一流ホテルや美術館に選ばれ続けてきたEdraのアイコニックな家具がブランドの哲学とともに集い、美と快適性、職人技と革新が息づく“現代のための芸術”を体感いただける唯一無二の空間です。
フランチェスコ・ビンファレ「プロダクトとは贈り物です。そこには、これまで存在しなかった“感覚”を贈るという意味があります。一方で、それが“人々に必要だと思うもの”であるなら、それはマーケティングです」
フランチェスコ・ビンファレは、思想家であり、アーティストであり、デザイナーでもあります。長年にわたり、Edraとの深く確かな関係を築いてきました。ミラノに生まれ、現在もミラノを拠点とする彼は、父から絵画とデッサンを学びました。1960年以降、主に産業分野でアートを実践し、リサーチセンターやプロジェクト推進の芸術監督として活躍。多くの建築家やデザイナーと協働し、イタリアおよび国際的なデザイン史に残るプロダクトの創造に携わってきました。1992年、マッシモ・モロッツィの招きにより、Edraのためのデザインに着手。この出会いはEdraにとって新たな創造の季節の始まりとなり、比類なき表現力と革新性をもつソファ作品の数々が誕生することとなりました。
ジャコポ・フォッジーニ「Edraとともに、私たちは物語を宿すオブジェを創り出しています。それらの物語には詩的な価値があり、単なる“形”を超えた存在です」
ジャコポ・フォッジーニは、アートとデザインのあいだを旅する探究者です。トリノに生まれ、現在はミラノを拠点としています。家業に関わる仕事の中で、彼はメタクリレートやポリカーボネートという、通常は自動車のリフレクターなどに使われる素材が持つ柔軟性に出会います。その色彩と美しさに魅了された彼は、1990年代末からこの素材を使ったインスタレーションやアート作品の制作を開始しました。ミラノに自身のギャラリーを構え、アーティストとしての活動をまとめた作品集も出版。また、彼の光の彫刻作品は、世界各地の有名美術館の永久コレクションにも収蔵されています。
梅田 正徳「私は自分のことを、花を生み出す“魔法のようなおじいさん”だと思っています。そして、たとえ悲しみに包まれた場所でも、私の花のひとつが、それを幸せな空間に変えることができたらと願っています」
梅田正徳は、Edraの作家の中でも特にデザインの領域に近い存在でありながら、同時に強い詩情を宿す作風を特徴としています。日本・神奈川県に生まれ、1966年にミラノへ渡り、カスティリオーニ兄弟のスタジオでキャリアをスタートさせました。同年、第1回ブラウン賞(Braun Prize)を受賞しています。その後、オリベッティ社のスタジオでエットレ・ソットサスと共に活動を続け、のちにラディカルデザインの集団「メンフィス」に参加しました。1980年に日本へ帰国し、東京に自身のスタジオ「Umeda...
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