金曜日, 1月 2, 2026

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【佐賀玉屋】佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展 1月3日(土)〜7日(水)まで開催

「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

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【佐賀玉屋】佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展 1月3日(土)〜7日(水)まで開催

「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

カスタマークラウド、AIアート分野の第一人者が参画――日本AIアートNFT市場で最高額「1ETH」を記録した精密AIアートクリエイターHakushi氏をメディア事業 AI講師・インフルエンサー枠に登録

カスタマークラウドは2026年を第二創業元年と定め、世界に先駆けたAGI駆動開発(AIネイティブ開発)を基盤に社会インフラへ新たな価値を実装。日本発グローバルAIスタートアップとして渋谷から世界へ挑戦カスタマークラウド株式会社(代表取締役社長:木下寛士、本社:渋谷スクランブルスクエア)は、日本のAIアートNFT市場で公開取引記録上最高額「1ETH」を記録した精密AIアートクリエイターのHakushi氏を、同社メディア事業のAI講師・インフルエンサー枠として登録した。 生成AIを活用した表現がアート、教育、ビジネスの各分野へと急速に広がる中、AIアート分野を代表する第一人者が同社メディア事業に参画することとなる。 AIアートNFT市場で実績を築いた第一人者Hakushi氏は、日本のAIアートNFT市場において公開取引記録上最高額となる1ETHでの販売実績を持つ精密AIアートクリエイターだ。 複数の画像生成技術を組み合わせた独自の制作手法により、高密度・高精度な表現を実現。生成AIを単なる効率化ツールとしてではなく、人間の感情や憧憬、想像力を可視化する表現装置として追求してきた点が高く評価されている。 表現と教育を横断する希少な存在元大手予備校講師としての経験を持つHakushi氏は、第一線での制作実績に加え、生成AIの仕組みや活用方法を分かりやすく伝える教育力も兼ね備えている。 高度な技術と実践的な知見を、専門外の層にも伝えられる点は、AI時代における講師・インフルエンサーとして大きな強みとなっている。 メディア事業における発信力を強化今回の登録により、カスタマークラウドのメディア事業は、アート×生成AIという注目度の高い領域において、象徴的な実績を持つ人材を迎え入れることとなった。 Hakushi氏は今後、講義、コンテンツ発信、イベント登壇などを通じて、生成AIによる表現の最前線や実践的な知見を広く発信していく予定だ。 今後の展望カスタマークラウドは、第一線で活躍するAI人材との連携を通じて、生成AI時代の知見と価値を社会へ届けるメディア事業の強化を進めていく。 今後も、各分野を代表するAI人材の参画を順次発表していく方針だ。 Hakushi(ハクシ) 精密AIアートクリエイター。 株式会社SHIFT AI所属。 教材マネージャー/ジュニアプロジェクトマネージャー/公認AI講師。  独自の生成技術と10種類以上の画像生成ツールを組み合わせ、 高密度・高精度な表現を特徴とする「精密AIアート」を確立。  生成AIを単なる効率化ツールではなく、 人間の憧憬・感情・想像力を可視化する表現装置として捉え、 アート・教育・社会を横断する制作と実践を行っている。  現代アート団体の審査を通過し、AIアーティストとしてアーティスト登録。  BytePlus×NVIDIA AI Summit Japan、東京AI祭、AI博覧会大阪などに登壇。  大阪関西万博 AI HEROES COLLECTIONにて画像生成を担当。  AI・人工知能EXPO「AIBATO」、東京AI祭画像生成コンテストなどで審査員を務める。 ポートフォリオ  https://hakushi-ai-art-shop.my.canva.site/fantasista-project Hakushi「初個展」精密AIアート展【憧憬】 ― 廻る憧れ、灯る幻想万華鏡。― 会場:銀座 Gallery WABI(東銀座駅 徒歩1分) 会期:2026年2月7日(土)〜11日(水・祝) AIアートの可能性を追求し続けてきた その集大成を、銀座という舞台でお届けします。 █ 年頭所感|渋谷から世界へ、羽ばたけ。 <div class="pr-embed--youtube" data-url="https://www.youtube.com/watch?v=ys-1xjjMOiU">https://youtu.be/ys-1xjjMOiU 2026年、カスタマークラウドは次の成長フェーズへと進みます。 2025年には、AGIを中核とした事業基盤を社会実装の段階まで確立し、現在はその仕組みを社会の中に定着させ、継続的な影響を生み出すフェーズにあります。当社が構築してきた概念と技術は、すでに実サービスとして稼働し、産業や組織の現場において明確な変化を生み出しています。 AGIはもはや技術的な新規性や優位性を競う対象ではなく、事業をスケールさせるための前提条件となりました。 2026年は、バリュエーションを軸に複数の事業やプロダクトを束ね、社会インパクトと企業価値を同時に拡大させていきます。 渋谷から世界へ。 その一歩を、私たちは現実にします。 カスタマークラウド株式会社代表取締役社長木下 寛士 ▼ 年頭所感 全文はこちら https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000649.000099810.html ▼ AIアバターによる新年メッセージ特設ページ(年頭所感LP)年頭所感をAIアバターで生成・配信する取り組みの概要、参加者情報、公開コンテンツを掲載https://www.customercloud.co.jp/event/aiavatargen/newyear2026/campaign/ ※カスタマークラウド、生成AIアバターの年頭所感キャンペーンを日本で初展開 https://chatgpt.com/share/695450eb-e944-8011-81e7-4f7867307800 █...

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【佐賀玉屋】佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展 1月3日(土)〜7日(水)まで開催

「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

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【佐賀玉屋】佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展 1月3日(土)〜7日(水)まで開催

「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

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【佐賀玉屋】佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展 1月3日(土)〜7日(水)まで開催

「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

カスタマークラウド、AIアート分野の第一人者が参画――日本AIアートNFT市場で最高額「1ETH」を記録した精密AIアートクリエイターHakushi氏をメディア事業 AI講師・インフルエンサー枠に登録

カスタマークラウドは2026年を第二創業元年と定め、世界に先駆けたAGI駆動開発(AIネイティブ開発)を基盤に社会インフラへ新たな価値を実装。日本発グローバルAIスタートアップとして渋谷から世界へ挑戦カスタマークラウド株式会社(代表取締役社長:木下寛士、本社:渋谷スクランブルスクエア)は、日本のAIアートNFT市場で公開取引記録上最高額「1ETH」を記録した精密AIアートクリエイターのHakushi氏を、同社メディア事業のAI講師・インフルエンサー枠として登録した。 生成AIを活用した表現がアート、教育、ビジネスの各分野へと急速に広がる中、AIアート分野を代表する第一人者が同社メディア事業に参画することとなる。 AIアートNFT市場で実績を築いた第一人者Hakushi氏は、日本のAIアートNFT市場において公開取引記録上最高額となる1ETHでの販売実績を持つ精密AIアートクリエイターだ。 複数の画像生成技術を組み合わせた独自の制作手法により、高密度・高精度な表現を実現。生成AIを単なる効率化ツールとしてではなく、人間の感情や憧憬、想像力を可視化する表現装置として追求してきた点が高く評価されている。 表現と教育を横断する希少な存在元大手予備校講師としての経験を持つHakushi氏は、第一線での制作実績に加え、生成AIの仕組みや活用方法を分かりやすく伝える教育力も兼ね備えている。 高度な技術と実践的な知見を、専門外の層にも伝えられる点は、AI時代における講師・インフルエンサーとして大きな強みとなっている。 メディア事業における発信力を強化今回の登録により、カスタマークラウドのメディア事業は、アート×生成AIという注目度の高い領域において、象徴的な実績を持つ人材を迎え入れることとなった。 Hakushi氏は今後、講義、コンテンツ発信、イベント登壇などを通じて、生成AIによる表現の最前線や実践的な知見を広く発信していく予定だ。 今後の展望カスタマークラウドは、第一線で活躍するAI人材との連携を通じて、生成AI時代の知見と価値を社会へ届けるメディア事業の強化を進めていく。 今後も、各分野を代表するAI人材の参画を順次発表していく方針だ。 Hakushi(ハクシ) 精密AIアートクリエイター。 株式会社SHIFT AI所属。 教材マネージャー/ジュニアプロジェクトマネージャー/公認AI講師。  独自の生成技術と10種類以上の画像生成ツールを組み合わせ、 高密度・高精度な表現を特徴とする「精密AIアート」を確立。  生成AIを単なる効率化ツールではなく、 人間の憧憬・感情・想像力を可視化する表現装置として捉え、 アート・教育・社会を横断する制作と実践を行っている。  現代アート団体の審査を通過し、AIアーティストとしてアーティスト登録。  BytePlus×NVIDIA AI Summit Japan、東京AI祭、AI博覧会大阪などに登壇。  大阪関西万博 AI HEROES COLLECTIONにて画像生成を担当。  AI・人工知能EXPO「AIBATO」、東京AI祭画像生成コンテストなどで審査員を務める。 ポートフォリオ  https://hakushi-ai-art-shop.my.canva.site/fantasista-project Hakushi「初個展」精密AIアート展【憧憬】 ― 廻る憧れ、灯る幻想万華鏡。― 会場:銀座 Gallery WABI(東銀座駅 徒歩1分) 会期:2026年2月7日(土)〜11日(水・祝) AIアートの可能性を追求し続けてきた その集大成を、銀座という舞台でお届けします。 █ 年頭所感|渋谷から世界へ、羽ばたけ。 <div class="pr-embed--youtube" data-url="https://www.youtube.com/watch?v=ys-1xjjMOiU">https://youtu.be/ys-1xjjMOiU 2026年、カスタマークラウドは次の成長フェーズへと進みます。 2025年には、AGIを中核とした事業基盤を社会実装の段階まで確立し、現在はその仕組みを社会の中に定着させ、継続的な影響を生み出すフェーズにあります。当社が構築してきた概念と技術は、すでに実サービスとして稼働し、産業や組織の現場において明確な変化を生み出しています。 AGIはもはや技術的な新規性や優位性を競う対象ではなく、事業をスケールさせるための前提条件となりました。 2026年は、バリュエーションを軸に複数の事業やプロダクトを束ね、社会インパクトと企業価値を同時に拡大させていきます。 渋谷から世界へ。 その一歩を、私たちは現実にします。 カスタマークラウド株式会社代表取締役社長木下 寛士 ▼ 年頭所感 全文はこちら https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000649.000099810.html ▼ AIアバターによる新年メッセージ特設ページ(年頭所感LP)年頭所感をAIアバターで生成・配信する取り組みの概要、参加者情報、公開コンテンツを掲載https://www.customercloud.co.jp/event/aiavatargen/newyear2026/campaign/ ※カスタマークラウド、生成AIアバターの年頭所感キャンペーンを日本で初展開 https://chatgpt.com/share/695450eb-e944-8011-81e7-4f7867307800 █...

湯のまち・別府で出会う、旅の余白と風景

写真家・石川直樹氏の作品を「SEKIYA RESORT Rock & Steam」にて展示2026年12月、別府市・鉄輪温泉エリアに新施設「SEKIYA RESORT Rock & Steam」が開業予定です。創業120年を迎えるSEKIYA RESORTが手がける本施設は、温泉地ならではの風土や空気感を活かしながら、滞在と表現活動が緩やかに交差する場として構想されました。 館内では、国内外のアーティストによる作品を随所に展示し、宿泊体験の中に自然とアートが溶け込む空間づくりを進めています。その取り組みの一環として、写真家・石川直樹氏の作品展示が決定しました。石川氏は、東京都渋谷区出身の写真家・登山家で、23歳で七大陸最高峰を当時の最年少記録で制覇。さらに2024年には、日本人として2人目となる8000メートル峰全14座の登頂を達成するなど、世界を舞台に活動を続けています。 本施設では、湯けむりが立ちのぼる土地の気配や、静けさをたたえた空間構成と呼応するかたちで、石川氏の作品を展示。別府という土地で過ごす時間の中で、訪れる人それぞれが風景と向き合い、静かな余韻を感じられる体験を提供します。 ■石川 直樹氏の略歴 1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。『CORONA』(青土社)により土門拳賞、『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書 に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。 SEKIYA RESORT Rock & Steam公式ホームページはこちら https://rockandsteam.com/ SEKIYA RESORT公式ホームページはこちら https://www.sekiyaresort.jp/ 株式会社関屋リゾート 代表取締役林太一郎。 別府で創業して120年以上の歴史を持つSEKIYA RESORTの代表として、当時、大分別府に他にないデザイナーズ旅館をいち早く導入しました。 常に革新的な挑戦を続け、入社時の売上から30倍以上の成長を作り出しています。 現在は市内で旅館・ホテルを3施設運営。その一つ、「SEKIYA RESORT Galleria Midobaru」は数々のデザイン賞を受賞したアートホテルです。

【第二弾公開!】全国のオルタナティブな芸術活動を可視化!「daitai art map」第二弾アップデート公開

オルタナティブ、コミュニティ、レジデンス、協働スタジオなど、多様な芸術活動を俯瞰する唯一無二の「daitai art map」、年内最後の更新。2025年を締め、2026年は地域横断の対話と共創へ。 「daitai art map」とは?株式会社Tocasi(本社:東京都千代田区、代表取締役:長谷川知栄)が推進する「daitai art map(だいたいアートマップ)」は、全国のオルタナティブなアートスペースや芸術活動を“だいたい”マッピングし、アーカイブするプロジェクトです。 同プロジェクトの企画運営は卯城竜太、池田佳穂、長谷川知栄が担い、アートや文化、社会や地域で活動する多様な人々の自由で創造的な実践を紹介しています。 それぞれの現場で生まれる小さな試みを"だいたい"記録し、"だいたい"可視化することで、全国の芸術活動や文化を"だいたい"つなぎ直し、新たな出会いやネットワークを"だいたい"育てていくための"だいたい"なプラットフォームを目指しています。 ご参考: 【日本初※】“だいたい”がアート・カルチャーをつくる。全国のオルタナティブな芸術活動を可視化する「daitai art map」が始動! 「daitai art map」第二弾アップデートのポイントArt Activityの新規追加/栃木、奈良、鳥取、山口など(※その他、順次追加予定) ローンチイベント開催&レポート公開/「daitai art map」のローンチイベントが、2025年6月14日、東京都墨田区のスペース「京島駅」で開催されました。 2部制で行われたそのなかのトークでは、全国から集まったリサーチャーたちが、それぞれの現場で抱えている問題意識を共有するとともに、「代替?」「大体?」、いろんな意味に取れるこのプロジェクトへの向き合い方を語りました。その対話の模様を、前後編でお届けしています。ローンチイベント 座談会レポート①ローンチイベント 座談会レポート② 知的交差点としてのArticleの新規追加/批評記事や対談、現地座談会などを通じて、アートの枠を超えた知的交差点を形成しています。第1弾の美術史家・富井玲子氏による論稿(美術手帖より転載)に続き、第2弾では、近現代日本美術史専門・阿部優哉氏による論稿を通じて、過去と現在、地域と地域をつなぐ深い洞察を提供します。 「大正異在共芸界」と「daitai art map」 ――「だいたい」の地層に眠る理想の世界 - 記事より抜粋 -daitai art map...

“Happy Birthday”を竹芝の夜宙にーー。アゲハライドがドローンで届ける音楽と光の芸術『LIGHTDANCe』でプライベートメッセージサービスを開始

ドローン300機で描く、11分のストーリー。大切なひとへの想いを、宙に――2025年12月25日のクリスマス。雨夜の束の間、竹芝の夜空に想いが広がった。 音と光の融合をテーマにしたドローンショー『LIGHTDANCe(ライトダンス)』を企画・運営する AGEHARIDe株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役:加藤 健、以下「アゲハライド」)は、 2025年12月25日、ウォーターズ竹芝プラザ(芝生広場)にて 『LIGHTDANCe Charge & Go!(300機バージョン)』を実施。 一般社団法人 竹芝エリアマネジメントとのコラボレーションで、今回で2度目の上演となる。 ―『LIGHTDANCe』が織りなす音と光の芸術に特別なメッセージを載せて <div class="pr-embed--youtube" data-url="https://www.youtube.com/watch?v=oGXrmjJZrfQ">2025年12月25日のダイジェスト 12月25日17:55。  束の間の雨上がりに、アゲハライド代表のKenn Katoが作詞を手がけたAAAの楽曲 「Charge & Go!」にシンクロして300機のドローンが夜宙へ舞い上がる。 竹芝の宙にいくつもの光の造形が描かれ、聖夜を楽しむ人々のひとときを彩った。  隣接するラグジュアリーホテル「メズム東京オートグラフ コレクション」の16Fラウンジからは 『LIGHTDANCe』を真正面で鑑賞することができる。クリスマスにぴったりの光のショータイムは、ホテルを訪れた宿泊客へのちょっとしたプレゼントにもなった。  11分のストーリーの最後に浮かび上がるのは“Happy Birthday!!”の文字。クライアントにとって大切なあるひとを祝う、サプライズのプライベートメッセージだ。当事者以外のひとびとにも笑顔の花が咲き、聖夜にふさわしい特別演出となった。  いまアゲハライドは竹芝エリアマネジメントと共に、竹芝の地をライトダンスでハッピーメッセージの聖地にする計画に取り組んでいる。 ー「いつかこの竹芝の夜宙の下で、彼女にきちんとプロポーズしたい」 写真は『LIGHTDANCe』を観に訪れた都内在住のカップル。夫であるYさんの手から彼女へ手渡されたのはかわいらしい赤い花束。 「今日は彼女へのクリスマスプレゼントの意味も込めて、サプライズでここに連れて来ました。つい先日入籍したばかりだけど、彼女にきちんとプロポーズの言葉を伝えられないまま結婚したので、いつかライトダンスでこの想いを伝えたいと思っています。」  この歌は結婚を決意した時に励まされた一曲、だそうだ。ふたりにとっての11分のラブストーリーが竹芝の夜宙に描かれる日も、そう遠くはない。 ※画像はイメージです PHOTO:田中和子 TEXT:野田春香 AGEHARIDe株式会社について「芸術は創り手の情熱と受け手の感性のコラボレーションである」という理念の元に、「LIGHTDANCe(ライトダンス)」でドローンショーを芸術に昇華させることに挑戦するクリエイターが集結。作詞家、音楽プロデューサー、映像・舞台監督、ゲームクリエイター、ドローンパイロットなど、各分野で十二分なキャリアを積んだ個性的なメンバーで構成されています。わたしたちのミッションは、感動を共創する時空間の創出です。 AGEHARIDe株式会社 設立:2024年7月29日 代表者:CEO 加藤健(作詞家:Kenn Kato) 所在地:東京都新宿区富久町16-6 西倉LKビル4階 事業内容:ドローンショーの企画・制作・運営/ドローンライト広告事業 AGEHARIDe 公式WebサイトAGEHARIDe InstagramAGEHARIDe YouTube

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「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」水彩画約30点を展示販売。色褪せない昭和の佐賀をお楽しみください。  佐賀玉屋(本社:佐賀県佐賀市中の小路2-5、代表取締役社長 山越 悠登)は2026年1月3日(土)から2026年1月7日(水)までの5日間、「あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜」を南館7階催場にて開催いたします。  佐賀出身の人気漫画家、田中むねよしによる「佐賀の昭和レトロ」な水彩画原画展。水彩画約30点、図録、カレンダー、ポストカード等を展示・販売いたします。  子供の頃に見た昭和の温かみある日常が、絵を通して鮮やかによみがえります。懐かしい風景や家族と過ごした時間を素朴なタッチで描いた「色褪せない昭和の佐賀」をお楽しみください。 作品紹介(作者のコメント)お堀のボート佐賀市民に愛された「お堀のボート」。作者も小学六年生(1976年)のころ乗ったことがあります。この場所は中央公園だったのですが、1977年の春に現在の駐車場になりました(そのときいまの駐車場へのゲート路もできました)。その際、ボート乗り場はかろうじて命脈を保ちましたが、利用客の減少を理由に1998年(平成10年)に閉鎖されました。’60〜’70年代はラインがはいった木製ボートでしたが、晩年は白い樹脂製になった模様です。 中央大通りのアーケード昭和の「中央大通り」はいま以上に賑わっていました。1959年にアーケードが設えられたときには、まだ土橋より南側は通じていませんでした。 1964年に日祐が開業し、1965年8月に土橋以南が開通。同年12月に佐賀玉屋が移転したことで現在のかたちが完成したといえます。 昭和42年11月5日の佐賀新聞は、段階で舗装は佐賀駅ロータリーから佐賀銀行本店までの174m(あと日通佐賀支店までの24m)であり、遅々として進まない舗装化を嘆いていました。 この絵は昭和41年に撤去される「グリコの広告塔」が描かれていますので土橋以南開通前後ということにしましょう。このアーケードも、老朽化などの理由から1986年に撤去されました。 東佐賀駅の跨道橋東佐賀駅〜“貫通道路”国道旧34号線を横断する旧佐賀線の名物駅でした。この周辺は過去自動車に関する販社などが多く、嘉瀬町に自動車関係の会社が集中する前は佐賀のモールタウンになり得たのではとも思わせる町でした。作画にあたって、高架の色味がわからずSNSに問いかけましたところ赤系と緑系に意見が分かれてより悩ましくなりました(近隣の方の証言と作者の記憶、加えて絵の「映え」から「赤系説」をとりましたが、緑系に塗られた時期があったのではと証言を集めているところです)。 片田江の歩道橋片田江歩道橋は佐賀県最初の歩道橋として1971年4月に渡り初めが行われました。この年近辺は第二次ベビーブームの始まりとされ、人口増や学童の増加、自家用車増による事故増加を考えると当然の設置と思えたものです。特にこの片田江は規模といい、佐賀県内でも屈指と思えましたが、老朽化や少子高齢化、災害時の危険性などから全国で歩道橋を見直す風潮が起こり、1999年(平成11年)に撤去されました。ちなみに、ちらりと見切れているスーパー「トポス」は「ユニード」の業態転換から1982年に開店し、1995年に閉店しました。 旧佐賀県警本部国道264号線(通称“貫通道路”)を通るたび、レンガ造りの建物が頼もしく凜々しく見えていたものです。昭和の観光用絵はがきでも貫通道路の名物として見切れていたり、往時の佐賀で撮影が行われた「張込み」にも登場します。 佐賀駅の夕景あの頃の夕暮れ時の、ちょっと急ぎ足な空気を思い出します。子どものころは「早くうちに帰らなきゃ叱られる」と、まるで追い立てられるような気持ちを抱いて走ったものです。それでも、親に守られて、不自由のない住まいと食事を与えられていた昭和の時間は、緩やかで暖かでした。 蒼天の佐賀駅市街地に出向くにはバスを利用することが多く、駅を利用するのは遠方の親戚を訪ねるとき、という印象が強いです。駅を普段使いするようになった今でも、あの頃改札をくぐるときに感じた「そわそわ」と「わくわく」がまじった気持ちがふわりと思い出されます。あと、ちょっとだけ“よそ行き”の服がはらんだタンスのにおいも……。 佐賀駅 1956年(昭和31年) 〜春〜この年の経済白書に書かれたことばが「もう戦後ではない」。1950年〜53年の朝鮮戦争特需をきっかけに高度経済成長期に入ろうとする日本の姿です。映画では石原慎太郎原作・長門裕之と南田洋子主演の「太陽の季節」が大ヒット。富士重工のスクーター「ラビット」はS61型あたりでしょうか。奥には日本乗用車の礎となった「トヨペット・クラウン」が停まっています。 このころの佐賀駅の名物は、なんといってもグリコの広告塔。なんと全高は18.7m と、「機動戦士ガンダム」ガンダムより背が高いです(18m)この塔は1958年の松竹映画「張込み」(野村芳太郎監督)にもちらりと映ります。 佐賀駅 1975年(昭和50年)〜 冬 〜翌76年に「若楠国体」を控える冬です。このころ道路整備も進み、1974年に「北部バイパス」が兵庫町から牛津まで全面開通、1976年に「西部環状線」が完成しました。4月にサイゴンが陥落し64年から続いたベトナム戦争が終結するなど、時代の荒波が押し寄せるなか「沖縄海洋博」が行われたのもこの年でした。 土曜日の人気番組「Gメン’75」がこの年の5月に始まり、いまも続くスーパー戦隊シリーズの嚆矢「秘密戦隊ゴレンジャー」も本年4月より開始しました。 自動車の姿も輸送や移動の足としての用途からより第一次ベビーブーマーが免許取得世代となることから個人の嗜好が反映されたり、公害問題への対策が施されるなどより社会性を帯びたものとなりました。この旧佐賀駅舎は1976年(昭和51年)2月に100m北側の現在地に移転します。 あの日のこと 田中むねよし水彩画展 〜失われた佐賀の景色〜 開催概要○開催日時:2026年1月3日(土)〜2026年1月7日(水) ※最終日は午後5時閉場○開催場所:佐賀玉屋 南館7階催場 入場無料 ○店舗住所:〒840-8580 佐賀県佐賀市中の小路 2番5号 ○電話番号:0952-24-1151

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